【体験記】まるちゃんの不妊治療~45歳での超高齢双子出産体験記【その1】

はじめまして♪
双子育児中のまるちゃんと申します。

双子育児のこと、かまわなくなってしまったスキンケアのこと、ダイエットのこと、大好きな食べものこと…色々書きたくてこのブログをたちあげましたが、日々の仕事や家事に追われ、やっとこさプロフィールを書いています。

以下双子母まるちゃんの簡単なプロフィールです。

●なまえ まるちゃん
●住んでいるところ 西のほうの地方都市
●好きなこと 食べること、からだを動かすこと…ですが、今は子育てでしかからだを動かしていません。しかも高齢出産だったから更年期とのせめぎあいがはじまってきてますよ。

結婚は30代後半。

子どもが欲しいと思ったものの、なかなかできず43歳で不妊治療をはじめる
最後と決めた採卵で良い結果が出て、45歳9ヶ月でふたごを出産

産休・育休を経てワーママとなりました。
同じ思い、気持ちを共有する方に読んでいただけるととてもうれしいです。
これからどうぞよろしくお願いいたします。

まずは、そんな双子母まるちゃんの双子を高齢出産するまでの体験記を書いてみました。
ちょっと長すぎるのでお時間のある時にご覧くださいね♪

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私が子どもを欲しいと思った時のこと

正直、こどもは苦手でした。

自分が末っ子だったということもあるのでしょうが、小さい子どもと接することが苦手でした。
子どもがきらいというわけではないのです。

他人の子はかわいくて仲良くできるのですが、自分の責任の範疇にない生命体を扱うということが怖くて仕方がありませんでした。

また、大人になっても子どものような自分が、子を持ち、育てるということ自体も想像ができませんでした。

それでも、20代半ば過ぎあたりでは、子どもを持って一般的な家庭を築いて…って思ってたんですが、30歳を過ぎたあたりからは、このままひとりでも楽しいんじゃないかな…と再び思うようになってしまいました。

40代を前にして結婚、それでも子どもを持たないであろうとその時は思っていました。
今思えばこの時にすぐ子づくりに取りかかれば、苦労しなくて良かったのかもしれませんね。
でも、その時は欲しくないと思ってたので仕方がありません。

そんな私を変えるできごとは手術・入院でした。

健康そのものの私でしたが、検査でとある病気が見つかり、症状自体は大したことがなかったもののけっこう大がかりな手術をしました。

病棟の中では40前の私なんて若くてぴんぴん。

でもその時に思ったんです。

「自分が次にこうやって入院するのは60歳くらいかな?今は主人が日参してくれるけど、その時は主人だって元気かどうかわからない、私は末っ子なので兄弟たちだってどうなってるかわからない…じゃあその時私はひとり?」

何だか急にさびしくなってきました。
ひとりが好きといいながら、ひとりがいちばん苦手な私です。

そんな私がどうして今まで子どもを持たない選択をしていたのだろうかと、突然意識が切り替わりました。
そうして子どもをこの手に授かるための日々がはじまったのです。

私の最初の妊娠♪&一般的な妊娠の兆候とは?

手術をしたとはいえ、同年代の人よりはかなり健康だと思っていた自分。
ぱっと見、健康な人は、きっと子どもも簡単に授かるだろうという勘違いをしていました。

今でこそ報道などでは言われている「卵子の老化」と「自分の健康さ」がまったくリンクしていませんでした。

だからこそ、この不妊治療体験記は、「高齢でも産めるんだよ」という話なのではなく、「高齢で産むのは大変だから1日でも早く」という意味合いを込めて書いていきたいと思っています。

すぐ授かれるだろうと無駄に自信を持ってしまった理由は、自分が健康であるということ以外に、経産婦ではあるけど45歳で出産をした友人がいたこと、何のタイミングも考えずに30代後半でぽんぽんと2人出産をした同僚が周りにいたということがあります。

いま思えばそういう人たちは奇蹟のような人たちだったのですが、私は自分も簡単にそうなれると思っていたんです。

何故か「自分は妊娠できるであろう」という自信があったので、最初は病院にも行かず体温を測ってのぞんだところ、本当にすぐに、数ヶ月で妊娠をすることができました。

簡単に自然妊娠できた私ですが、つわりも何もないまま3ヶ月を迎えようとしていました。

妊娠発覚時、人によって色んな症状があるのでしょうが、私の場合は「何かを食べた時にお腹で違和感を感じる」という症状が主にありました。

何というか下痢ではないのだけれども、食べ物がお腹に入った後、少しお腹が気持ちが悪いというかぐにゅぐにゅする痛みがありました。

年末の暴飲暴食をしている時期だったので、それが理由なのかなと思えるくらいのものをなーんとなく感じていて、ある日突然「えっ?もしかしたら妊娠してる?」とひらめくように思い、検査薬で試したところ陽性反応が出たのです。

とはいえ、これは最初の妊娠の時に感じたけど、次の妊娠では感じなかったので本当に人によって、妊娠によって様々なのだと思います。

ということで、一般的に言われる主な症状を以下に挙げてみますね

ドラマみたいにいきなり「オエッ」となった
やたらと眠かった
空腹時に気持ち悪くなり食べると落ち着く(食べづわり)
今まで好きだったものを受けつけなくなった
逆に今まで嫌いだったものを食べるようになった
揚げもののニオイで吐きそうになった
脚の付け根が痛かった
イライラした

こんなところでしょうか。

友人2名はそれぞれこんな感じだったようです

もともとトマトは好きだったけど、更にトマトが好きになって、いつもいつもトマトばかり食べていた(笑)。

午前中だけつわりがあって、午後のパートの時には軽く、また夕方になってつわりがあるので仕事には支障がなくて助かった。

トマトの例は、好きなものが更に好きになったということですが、その逆で嫌いなものを食べるようになる人も多いですね。
また、2番目の友人のようにつわりに1日の中で波がある人も多いようです。

女性だったらわかると思うのですが、どれもPMSであらわれる症状に近いですよね。
ですので、人によっては「ああ、また今月もリセット(生理が来ること)しちゃった」と思っていたところ、実は妊娠していたということもあるようです。

また、着床時の出血というのは原理としてはあり得ないという先生もいらっしゃるようですが、私の場合は生理予定日の少し前くらいに「わっ、茶色いおりものが出ちゃった」というくらいの量が出ました。

そしてそれが着床出血とも思わず、後になって「ああ、あれがそうだったのかな」と思いました。
この着床出血は全く無いという人がほとんどですし、ほんの少量下着に付くくらいという人もいるようです。

つわりについては、また別の記事でも書こうと思うのですが、最初から最後までつわりに悩まされる人、安定期くらいまで…とこちらも様々です。

ともあれ、簡単に自然妊娠に至った私は、気も早く、うきうきしながら保育所やファミサポさん(※ファミリーサポート)を探し始めたりしていました。

流産1~悪い予感が的中

簡単に自然妊娠できた私ですが、無事に心拍確認をし、3ヶ月を迎えようとしていました。

次の診察で何も問題が無ければ役所に母子手帳をもらいに行こうと思っていました。
正直自分が流産するなんて思ってもいなかったので、これから先出産までの間を楽しみに色々と考えをめぐらせていた時期でした。

ある日のことでした。
これが流産に直結するということではないのですが、仕事でとても嫌なことがあって、その日の夕方何となくお腹が痛くなり、いやーな予感がしました。

そしてほんの少しだけ出血していました。

夜に友人に「お腹が痛い(>_<)」とメールしたら

「子宮が大きくなってきてるからじゃない?」

という返事。

でも、昔から何となくのカンが当たる私。
陽性反応が出て以来、毎日喜びを噛みしめるべく体温を測っていたのですが、その翌日の体温は少し下がっていました。

この日は出血はしていませんでしたがとてもいやな予感がし、クリニックを受診。
先生は優しく内診をしてくださいました。

「どれどれ大丈夫でしょう」という雰囲気で内診をはじめたのですが、エコーにうつっていたその子は、前回見た時とは違って見えました。

心拍も確認できません。

それでも先生からの「ああ、大丈夫だよ」という言葉を待っていた私。

しかし、私が耳にした言葉は

「お母さんの予想が当たってしまったみたいだねえ」

でした。

後から考えればそんな時でも「お母さん」と称してくださった先生のお心遣いがうれしかったです。

それから先は、クリニックもこういった流れには慣れているのか、すぐに別室に通され、看護師さんからの説明となりました。

別室に移る直前、先生のデスクで次の方の準備がされていたのですが、デスクに乗せられた母子手帳が目に入り、その瞬間「ああ私はあの手帳を手にすることができなかったんだな」とぼんやり思いました。

別室では、心拍が確認できず胎嚢も大きくなっていないので、週末をはさんで月曜日に再度内診をし、同じ状態であればそのまま手術をすること。

それにあたり、サイン・押印をしたものを持ってくるようにと、手術の同意書を渡されました。

話の途中で涙が流れてきて止まりませんでした。

自分でハンドリングできず涙が落ちることなんて、大人になってからははじめてのことでした。

主人にメールしたら「残念だけどまたがんばろう」との優しい返事。

職場に連絡を入れ、翌日はお休みすることにしました。

クリニックから帰り、「胎嚢が大きくなってない」「胎児 心拍停止」というワードでとにかくネットで検索をしまくっていた私。

友人に現状を連絡すると「あきらめきれないのなら他の病院でもう一度見てもらえば?」とメールがあり、その言葉のとおり翌日友人が出産した病院に行きました。

内診をはじめた瞬間、心拍確認ができた時のエコーと同じ映像が映るよう祈りながら見ましたが、その胎嚢は形すらひしゃげてきていました。

この時、「ものも言わず、出血もせずに、こんな形になってまで一生懸命お腹にとどまってくれている子をお腹に留めておくことはできない。出してあげないとかわいそう」と、ようやく手術をしないといけないな、という気持ちになることができました。

流産2~手術

他院でも、お腹の中の赤ちゃんの心拍が停止していることを確認したのは金曜日、手術予定の月曜日までもう動かない赤ちゃんとゆっくり過ごしました。

それまでも、お腹に手をあてて心の中で話しかけていたのですが、この週末はたくさんたくさんお話しをしました。
一緒に入るお風呂も最後、バルコニーから一緒に景色を眺めるのも、一緒に夢を見るのもこれで最後。
2週間前の検診の時に心拍が確認できて、この世でいちばん幸せなんじゃないかと思えるような週末を過ごしたのに、短期間でこんなことになってしまうとは…。

とにかくさびしくてさびしくてたまりませんでしたが、残りわずかな時間を大切に過ごしました。
この妊娠の時は、とにかく眠いという初期症状だったのですが、このような形になっても悲しいかなまだ眠いんですよね。

同じ経験をしたことのある友人も、つわりは残っていてそれがつらかったと言ってました。

hCGについて
ヒト絨毛性ゴナドトロピンといい、Human chorionic gonadotropin の頭文字をとってhCGと呼称されています。
着床をすると分泌される糖タンパク質です。
妊娠判定薬は、このhCGが分泌したことにより陽性反応を示します。
流産をしたからといって、hCGはすぐには0になりません。
そのため、しばらくの間はつわりと同じ状態が続いたり、胸の張りが続いたりします。

手術当日、念のため内診をして状況を確認します。

ぴくりとも動かず、しーんとしたたたずまいのままでしたが、もう私は覚悟ができていたので「ではこのまま手術にうつりますね」と言われても、落ち着いていられることができました。

ただ、手術まで過ごす病室に行くまでの間、新生児室の前を通らなければいけなく、かわいい赤ちゃんの泣き声が聞こえた時は涙をがまんすることができませんでした。

手術までの間、子宮口を広げる「ラミナリア」というものを入れます。
ネットの情報でとても痛いと聞いていたのですが、息を深くはき気持ちを平らにしていたら、思ったほど痛くは無かったです(個人差はあるかと思います)。

手術はあっという間でした。

麻酔が何となく覚めた時、思わず看護師さんに、「また妊娠することができるでしょうか?」と聞いてしまいました。
意識朦朧としていたのに、どうして咄嗟にそんな言葉が出たのかも不思議でした。
すると看護師さんは、少し困った顔をしたけど、「そのための手術だったんですよ」と次に希望がつながる答えをしてくださいました。

私は結果的にはここで出産が出来なかったのですが、この時の言葉は高齢だった私にずっと希望を与えてくれました。

費用は保険がきいたのか、10,000円と想像していたより安く感じました。

術後は感染症を防ぐため1週間はお風呂禁止でシャワーのみです。
お仕事は本当なら1週間くらい休んだほうが良いとのことでしたが、上司の許可ももらえそうになかったので3日間休み、術後1週間に子宮のもどり具合や出血を確認し、今まで通りの生活に戻りました。

私の場合は、稽留流産というものでしたが、これも私のように手術までに少し日数がある人は、その間に進行流産や完全流産になってしまう場合があります。
とてもつらい出来事でしたが、きっとまたこの子はきてくれると思い、前を向くことにしました。

はじめての不妊専門クリニック

最初の妊娠は簡単にタイミング法で成功することができましたが、あっけなく流産をしてしまいました。

最初、あまりにもすぐに妊娠をすることができたため、数ヶ月は婦人科で卵胞の大きさをチェックしながらタイミング法でがんばり、化学流産のようなことも数回ありましたが、やはりこれ以上の対策を考えたほうが良いのかも、と思うようになり、更に高度な治療を検討するべく不妊治療専門のクリニックへ転院をしました。

私が住んでいる地域には全国的にも有名なクリニックがあるのですが、何故かそこには行かず個人で開業をしているクリニックへ行きました。

今思えば、その有名なクリニックは最終的に選択したクリニックとは対極にあるような治療方法でしたので、行かなくて良かったのかなとも思っています。

これについては、病院の選択についての思いを別記事で書こうと思っています。

さて、転院をした私。

それでも、治療することを職場にカミングアウトしていなかった私は、土曜日だけもしくは有給休暇が取れた時だけの通院。

そんなこんななので、検査はそこまで深くおこなわず、ひとまずは血液検査によるホルモン検査と、内診、クラミジアの検査でした。
そして主人は精液検査をしました。

先生のお話しによると「卵巣がしぼんでいるとのこと」。
その時、「えっ!卵巣ってしぼむの?」ととてもショックな気持ちになったことを覚えています。

ホルモンの減少により、機能が低下しているということなのです。
あと、ストレスでもしぼむことがあるそうで、この頃はお仕事での、というか上司が仕事をせずにずーーーっと私に愚痴を話しているというような状況でしたので、ストレスはマックスだったなあと、今これを書きながら思い起こしています。

通院頻度の問題で、このクリニックではしばらくタイミング法を試みていたのですが、たまたま通院日と人工授精にベストな時期が重なったので、排卵自体はなされていて、主人の精液に問題が無いことから、私たちは人工授精にチャレンジすることにしました。

本格的な不妊治療へ進もうと決意

人工授精にチャレンジした私。
しかし、残念ながら人工授精で着床に至ることはできませんでした。

そうなると、この年齢の私(この頃42歳)、今後の治療方針を考えることが急務となります。
人工授精をしたクリニック(以下Aクリニックとします)は、職場からは遠く、診療時間と自分の業務時間の都合もあり土曜にしか通院できません。

どうするのが一番良いのだろう?と思っていたところ、Aクリニックの助産師さんとのカウンセリングで、こんなアドバイスをされました。

「うちのクリニックにずっと来るのはまったく構わないが、それだとあまりにも治療できるチャンスが少なすぎる。それならば、いっそのこと職場に近いクリニックや、夜間も開けているところに転院してみてはどう?
多分、すぐには初診の予約は取れないと思うので、それまでここでタイミングを取れば良いし」

確かにチャンスはかなり限られてしまう、時間も無い…。
私は転院を決意することにしました。

職場へのカミングアウト・理解について (1) 敵は上司

ようやく、不妊治療の入り口に立ちはじめた私。
しかし、不妊治療というのは前の記事も書いたように「今日の午後から来てください」と突然言われることもあるような治療。

フルタイム、しかもシフト制の仕事をしていた私には当然ながら職場へのカミングアウトが必要でした。

周囲の賛同が得られないと難しい不妊治療について、数人の方にインタビューをしてみました。結果このような回答が得られていますのでご覧になってください。

上司に話して配慮してもらいました。シフト制の仕事でしたので、できるだけ遅番にしてもらい、朝一で病院へ行っていました。

体外受精だと子宮の状態などによっては突然通院になったりして大変でしたが職場の上司には伝えてありましたので半休をもらったりして通院しました。でも出来るだけ通院の回数を減らす為に自己注射をしていました。

幸いシフト制の仕事だったので仮の体外受精スケジュールに沿って前後3日間余裕を持ち全て昼から出勤にしました。立場的に自分でシフトを作る立場であった事も幸いでした。

医療事務の仕事をしていました。休む場合は別の誰かに交代をお願いしなければいけない仕事です。体の状態によって通院日が急に決まるのが不妊治療。なので同僚はもちろん院長や看護師さん全てに、不妊治療をすることを打ち明けました。実際治療が始まって、急に交代してもらうことが何度かありました。

はい、ここで大切なキーワード。

  • 上司
  • 打ち明ける
  • 交代

ね、上司だけではありません、それ以外のスタッフたちの賛同も得られないといけないのですよ。

幸い、私はパートタイムジョブの方へのトレーニングや作業依頼などもしていたので、ほぼ同じ年代の皆さまとは色んな話をし、その中で不妊治療を希望しているという話もしていました。

ですので、「それ以外のスタッフからの賛同」というのはクリア。

しかし、上司から理解と承諾を得る自信が私にはありませんでした。

誰もが知っている大きな会社で、かつて「営業成績日本1」を取ったその女性上司は、他人に厳しい方でした。
その方に「治療するんで早退しまーす」とはとても言えない雰囲気が部署内にはできあがっていました。

私自身、遅刻しようが早退しようがパーフェクトに仕事をまわせていれば気に病むこともなかったのでしょうが、当時の異常な仕事量でそれが無理なこともわかっていました。

うーん、「婦人科系の病気で通院します」なんて言ってみようか、と思ったものの1年以上のスパンで通院するつもりでいたので、さすがにそれは無理だし…。

転院を決めたのが12月、転院先の初診が3月…ああ、どうしようどうしようと思っていたところ、私には神様が降りてきたのではないかと思えることがありました。

「上司が異動になりました」

ぎゃぼー!

本格的な不妊治療へ(2)~新しい上司

今でも思います。

このタイミングで上司が異動していなかったら今の私はありません。
そして、目の前にいるこの双子たちも存在していなかったんだと。

かつて、私の職場はあまり女性の異動が無いようなところでしたが、表面上だけでも「輝ける女性」を打ち出したいのか、ここ数年女性の異動や昇進が増えています。

今までの私の上司は、とても美しいバツイチで、上から覚えめでたき方でした。上層部からの大抜擢で、この部署にやってきたのがまるで昨日のことのように思えます。

そんな彼女がいなくなります。
治療のことを言い出しにくい厳格な人とはいえ、彼女がいなくなことは業務面においては不安なことだらけでした。

ですが、新しくやってきた上司(こちらも女性)は、そんな不安も吹き飛ばしてくれるほど明るく、笑顔の絶えない人でした。更に仕事もさばけ、私たち部下を守ろうという責任感が異動当初から感じられました。

そうなると、逆に「こんないい人にむしろ治療のことなんて言えないよ」と思ってしまった私。

でも、チャンスを逃すと二度ときちんとした治療ができないと思い、意を決して、

「自然でがんばってきたけど1度流産をし、限界を感じていること」

「治療をしたいこと」

「でもその治療で突然の欠勤や遅刻・早退があること」を話しました。

上司の回答は、

「いいよ!後悔の無いようにしておいで」

即答でした。
涙が出そうでした、ていうか出ました。

それからというもの、上司は食生活が大切だからとお弁当を作ってきてくださったり、テレビで生殖医療の特集がある時は教えてくれたり、勤怠以外のことに関しても色々と気遣ってくださいました。

私が妊娠し、産休を取る時にも部署が困らなくてすむような環境作りをしてくれました。

そんなこんなで、予約していたクリニックの初診の日も近づき、ようやく43歳にして本格的な不妊治療への第一歩を踏み出したのです。

不妊治療の初診ではどんなことをするの?必要なものは?

さて、色んな検査がある不妊治療ですが、私は前のクリニックで人工授精を行い、着床することはできませんでしたので、最初から体外受精を希望していました。

まずは、初診で持参するように言われたものをメモしておきますね。
問診票や婚姻を証明するものはクリニックによっては必要ないところもありますが、それ以外は同じものが必要になります。

必ず持参する物
・健康保険証(夫婦ともに診察券を作るので両方とも必要です)

あれば持参する物
・前のクリニックでの検査結果
(結果が古すぎる場合は再検査をすることもあります)

・基礎体温を付けている場合は、基礎体温表
(電子体温計をそのまま持っていったら嫌がる先生が多いです、きちんとグラフをつけておきましょう)

クリニックによって違うけど必要かもしれない物
・婚姻を証明するもの
(このクリニックでは戸籍謄本でした ちなみに戸籍謄本、今は名称が変わっていますね「戸籍全部事項証明書」といいます。ちなみに戸籍抄本は「戸籍個人事項証明書」です。)

・問診票や初診カウンセリング表
(初診の患者さんが多いクリニックは、事前にネットからダウンロードして持参したり、事前にFAXやメールで送信を求められるところもあります

最近はどこのクリニックも初診の患者さんが多いため、初診までに目を通しておくもの、記入しておくものなど、治療を受ける側がしておかないといけないことが思ったよりありますので、クリニックのホームページや資料を確認してわからない点はクリニックに連絡をし、確認しておきましょう。

忙しいクリニックに確認するのは申し訳ないと思うかもしれませんが、それに答えるのはクリニックの義務ですので、疑問点は早目に解消しておきましょう。

転院先の初診は、主人も休むことが出来たので一緒に行き、主人は採精室(クリニックによってはメンズルームという名前がついているところも)へ、私は内診をするため診察室へ向かいました。

内診の結果、卵胞はいくつか見えているが卵巣も少し小さくなってきていて卵胞が育ちにくくなってきているので、確かに体外受精から進めるのが得策だろうということです。

ここのクリニックの先生のお見立ては、現在43歳なので1~1年半体外受精に取り組んでみて、それでも結果が出なかったらステップダウンしてタイミングにしてみてはどうでしょうか?とのことでした。
特に異論はありませんでしたので、その流れで進めることに。

流れ作業で冷たい雰囲気が多いと言われる不妊治療のクリニックですが、ここはまるでホテル?というような雰囲気で、先生もスタッフの方も穏やかでした。

内診後、ホルモン値を測るための血液採取をし、カウンセリングルームへ。

この後、主人と合流し、看護師さんから体外受精についてのお話しや、それに伴う自己注射のお話しやトレーニングを受けました。
トレーニングは実際にアンプルを折ったり、生理食塩水を使って注射器での吸い上げをしたのですが、私は最後までアンプルを折るのが苦手だったなと、今思い出しています。

次は1週間後、血液検査の結果を聞き、今後の詳しい治療方針を立てるということでした。

ちなみに金額は、私の場合は7,000円で、主人の分も含めると10,000円くらいでしたので、20,000円くらい準備していたら安心なのではないかと思います。
ですが、クリニックによって違いますので、事前に確認しておくことはおすすめします。

その日は、新しいスタートラインに立てたんだと思って、何となくうきうきして主人と食事をして帰りました…が、スタートしたもののゴールまでは険しかったのです。

今後の治療方針~まずはアンタゴニスト法で

初診後、1週間経ち血液検査の結果を聞きに行きました。

結果を破棄してしまっていたので、きちんとした数値はわからないのですが、当時の覚え書きを見ると、

「FSHは下がっているが変動が激しいことがある(つまりきちんと妊娠できる状態には無い)AMHはびっくりするほど低い数値、仕方ない」

とあります。

かなりよろしくなかったみたいで、精神的に落ち込んでいる様子が見受けられます。

特にAMHの数値が良くなかったようで、妊娠出産した今は「AMHに振り回されることなかれ」と思うのですが、不妊治療の一歩目に気にする数値といえば、やはりこれだったようです。

FSHなどのホルモン値についての詳細はこちら

AMHについての詳細や そこまで気にしないでも良いですよ という説明はこちら

先生からは、

「AMHも少ないし、年齢のこともあるので、たくさんタマゴは取れないと思いますが、1回につき2個くらい。2、3回誘発をして良い卵が取れたら移植かな」

と言われました。

私、正直この頃は流産して1年しか経っていないし、着床もどき(化学流産ですね)も何度かあったし、ぴんぴんしてるし、「誘発さえすれば良い卵取れるでしょ」と思っていました。

今思えば、そんなわけのわからない自信はどこからきていたのかと…。

科学のチカラに頼りさえすればどうとでもなると思ってたんですね。

でも、こんな能天気なことを考えていた私は当時43歳

どうとでもなるわけがないじゃないですかねえ。

ですので、本当に口を酸っぱくして言います。

「お金がかかるから」「まだ40過ぎてないから」っていう気持ちは、子どもが欲しいのなら、どこかよそに追いやってください。

実際に検査をしてみて大丈夫ならそのままタイミングを取ればいいんです。
お金だって先延ばしにすればするほど、治療期間も長くなるかもしれませんので、トータルでかかる金額は高くなる可能性があります。

子どもが欲しいと思って1年経ってもできなければ、若かろうがそうでなかろうが、専門のクリニックの門をたたいてください。

早めの苦労が先の楽しみになるかもしれない。

もちろん、それは100%ではありません。それが不妊治療です。
でも、早めに取り掛かったほうが後悔は確実に少ないと言えます。

話がそれましたね。
私の治療についてです。
私の場合は、今小さいタマゴが見えているのでこれを今回は大事に育てていきましょうとのことで、アンタゴニスト法という方法で最初の治療をすることになりました。

アンタゴニスト法とそのスケジュールについてはこちら

生理が来てから2日目に予約を取って、新しいサイクルに入ることになりました。

次の診察は生理開始2日目(今後はD**と称します。ちなみにこれはD2です)にきてください、と言われたものの、まだリセットしません。

リセットしないというよりは、生理とは違うような出血が1週間前からだらだらと続いています。

先月も同じような状態が10日ほど続いて、本格的にリセットをしました。
その時も体温は測っていたのですが、同じ時期に風邪をひいてしまったため、体温もが高めのままで、それが風邪なのか何なのかわからぬまま。

一応タイミングもとったので、「もしかして!」と思ったけど検査薬は陰性。

スタート地点がはっきりしないというもやもやな日々を過ごしていましたが、やはり今月も先月と同様だらだら出血、10日目にして体温が下がり、だらだら出血とは違うリセットしたような出血…というより、今までに見た事のないような大出血とかたまりでした。

初診の内診で、小さい筋腫やポリープがいくつかあると言われていたので、それがどうにかなっているのかと心配しながらクリニックへ。
大出血のことを話して、内診していただきました。

先生からは「やはりポリープが影響しています。今のところはこのままで大丈夫だけど、大きくなって移植しずらかったりしたら、先になんとかして(つまり切除ということ)、それから移植ということになるかもしれません。」との説明がありました。

子宮ポリープには「子宮内膜ポリープ」と「子宮頸管ポリープ」があります。

私にできていたポリープは「子宮頸管ポリープ」といい、粘膜が増殖して子宮口にまではみ出してしまうものです。
非常にやわらかい組織なので、ささいなことでも出血をします。

ただし、排卵時の出血と間違えることもありますので、やっかいなものです。
私も後日これに悩まされることになります。

タマゴは2つ確認できるとのこと。
43歳の私、2つもあるなんてとっても幸せ。本当にそう思いました。

不妊治療をするまでは、タマゴは毎月1個、卵巣の左右交互にできるものだと何故か思っていましたが、そうではありません。

たくさんできる人もいますし、2ヶ月続けて左にできるという人もいます。

でも、たくさんできている場合は喜んではいけません。

その場合は、「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS:polycystic ovarian syndrome)」という疾患が疑われます。

「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS:polycystic ovarian syndrome)」についての詳しい解説はこちら

その後のスケジュールを先生と確認して、診察は終了。

アンタゴニスト法の詳しいスケジュールはこちら

診察後、採卵準備に入れるかどうかのホルモンチェックの採血を看護師さんにしてもらい、この日は終了。

明日の午前中にクリニックに電話をいれ、採血の結果に問題が無ければ自己注射開始です。

自己注射…こわいよね、うん、こわいです。

D3自己注射のはじまり

血液検査の結果、ホルモン値に問題は無かったので、D3の今日から自己注射をしていくという治療サイクルのはじまりです。

さて初の注射ですが、やりそうな気はしてたんです。

しょっぱなからやってしまいました。

人並み外れて不器用な私。

緊張すればするほどやってしまう私。

なんと1本目のアンプルで指を切ってしまいました。

練習の時は大丈夫だったのに、どうして~!

看護師さんも「まれに切る人はいらっしゃいますね、ホントに稀ですが」とおっしゃってて、自分がその「まれ」に入るなんて思ってもみませんでした。

今日はトータル3本のアンプルを折らないといけないのに、へたれな私は心折れてしまい、2本目に入るときに「また切ったら…」と思うと何もできなくなりました。

この日、主人は出張で空港から帰ってきてる途中だったので、家に戻ってくるのを待って残り2本を開けてもらいました(主人は悔しいかなとても器用だし、切っても何とも思わないタイプの人)。

なんて不器用で小心者な私。

自分でもイヤになってしまいました。

こんなのでこれから先やっていけるのかとても不安です。

あ、注射自体はですね。

針を刺すまでは躊躇しますが、やはり私はそんなに嫌いではないみたいで「ハムに刺してる」って感じでした。

薬剤が入る最後のひと押しあたりは「むにゅぅ」って感じで少し痛いけど 、アンプルで切るのに比べれば、余裕で耐えられます。

ガラスアンプル、ホント嫌いです(>_<)。

D6・D7自己注射も色んなものがあるのね

私が使っていた注射たちです。
前のスマホに入っていたので、掲載してみました。

これを1セット持ち帰り、注射器とアンプルは、使用後に自分で破棄はせずに病院へ返却をします。

昨晩より、注射はフォルリモンからhmgへ。
甘かったです、これは…痛いです。

注射した時はそんなに痛くないので、フォルリモンと同じくらいしかもんでなかったら、翌日私の太ももには「青あざ」ができていました。

しこりのようになってて、痛いったら。

そして主人は明日から出張が入り、帰ってこれないそうです。
ですので、何としてでもアンプルは開けられるようになっておかなければいけません。

あ、それときちんと空気を抜いていなかったみたいで、最後のひと押しで「ブジュ」って空気の入る音がしましたよ…。
空気抜きもちゃんとしなくては。

今日は注射をした箇所と、周辺を20分間揉みまくっています。
むしろそれで腕が筋肉痛になるんじゃないのって感じですが、たくさん揉むことによって翌日どう反映されるのか、明日の太ももの様子を報告したいと思います。

~翌日~

昨日「明日の太ももの様子をお知らせします」なんて書いてみたわけですが…。
なんなんでしょうね~、あくまで個人的体感なのですが、よく揉んだ今回のほうが痛いような気がします。
私の脚は、適度に揉んだらあとは変化無しのようです。

実際、知恵袋やジネコなどを見ていると、「よく揉んだら痛くなかった」という方が多数なので、人によっては効果があるんだと思います。

ていうか、どうしてそれに私があてはまらないのさっていうくらい痛いです。
あ、でも今回は青あざにはなってません。
そして痛いといっても、がまんはできる痛さです。
バッグがももにあたるだけで「ぴぎゃあっ」って言いたくはなりますが、いつも書くようにアンプルを開けることにくらべればへっちゃらです。

そして今日はクリニック。

内診の前に「アンプル1本目で負傷です」と、先生に伝えたら、内診の間ずっと

「あれは…どうしてあんなに原始的なつくりなんでしょうね~。いつも不思議に思います。」

「私たち医師でも切ることがあるんですよ~。」

と、優しい口調で話してくださったので、緊張せずに内診を受けることができました。

前回育ちそうだった2つの卵はまだ大きくなくて、反対側の見えてなかった卵が14mmになっているそうです。

先生:「じゃあ、明日からガニレストという注射をします」

私:「痛いですか」

先生:「今のよりは痛くないと思います」

私:「(°∀°)(ひゃっほう!)」

と、ここで先生が不思議そうな顔をされたような気がしました。

それもそのはず、注射がそんなに痛くないものに変わるわけではなく、今までの痛いhmgも打ち、さらにガニレストが追加されるわけで、注射自体は増えちゃうんですものね。
喜んでる私ってばいったい…。
そもそも最初っからそう説明されてたし。

先生:「おそらく、来週の月曜か火曜あたりに採卵になるのではないかと思います」

診察終了後、今日は今までの注射を返却し、明日以降のものをいただきました。
看護師さんはとても大好きな方。
まあ、採血はアレですが(笑)、この方のノリは好きです。

ちなみに今日はクリニックでhmgを打っていただいたので、夜の自宅注射は無し。
ちょっとうれしいです。
夜のストレスが無いため、のんびりと過ごせそうです。

でも、明日の朝のガニレスト注射を忘れないようにしなければですね~。

はじめての採卵→受精確認→胚移植?

体外授精の1回目から今までをつらつらと書きます。

はじめての採卵

当初は7:30の来院予定だったのが、採卵者が増えたようで6:30に来てくださいと言われる。
自宅からクリニックは、JRで行くと1時間半くらいの距離。

「はやっ!」と思ったけど、それよりもっと前に先生もスタッフの方も来てくださるわけだから 前泊することにして6:30で決定。

到着後、主人はすぐに採精。
私は着替えや点滴のため採卵前後に休憩するお部屋へ通されました。

そこはまるで高級ホテルの一室のよう。
正直こんなにお金かける必要はあるのかしら…と思いつつも、当然悪い気はしません。

着替えて点滴を開始。
採卵後に履くショーツは着替えのポケットのなかに入れておいてくださいとのこと。
なるほど合理的。

準備ができ採卵室へ。
看護師さんはいつもお見かけする方ばかりなので安心してのぞめそうでした。

先生がきて、ついに採卵。
安定剤を使って眠っている間にするので、その前に少しお話しをしました。

「初診の時に見受けられたポリープが大きくなっているので よい卵だったとしてもすぐ戻すかどうかは採ってから決めましょうとのこと。 」

安定剤を点滴でいれていくのですが、その時に数をかぞえるように言われ「2」くらいで撃沈(笑)。

あっという間に終わり、結果2個採卵。
終了後、車いすに乗せられ最初の部屋で休息です。

たまごが2つもとれたことは私にとってはうれしいことだったのですが、朝が早かったため採卵後もとにかく眠くて眠くて…。

同じクリニックに通院している方のお話しではお昼くらいまでゆったりお部屋でお休みできるということだったのですが、10時頃には「診察ができますけど大丈夫ですか?」とのこと。

眠たいのが麻酔のせいなのか、早起きしたからかはわからないのだけど、特にふらつくわけでもないので診察をして11時前には病院を出ることができました。

ホテルはレイトチェックアウトだったのでこんなことならまだチェックアウトしなければよかったと思いつつ、残りの時間を有意義に過ごそうと決めました。

クリニックの近くで食事をしたのですが、お腹が動いていないのにいきなり食べたのが原因なのか、胃腸がパンッパンに張ってしまい、這うようにして帰り、帰宅後は早々にお昼寝をいたしました。

受精確認

さて、採卵の翌日。

このクリニックは、採卵後の受精結果を先生が直接電話してくださいます。

午前中に先生からお電話をいただきました。

仕事中で出られなくて何度もかけなおしをしていただき申し訳なかったです。

採れたタマゴ2個のうち、1個が受精。

でもあまり芳しくなさそうとのこと。

先生:「しばらく培養してみますが、うまく分割したとしてもポリープのこともあるので、凍結して子宮の環境を整えてからのほうがよいかもしれません。いずれにしてももう少し様子をみてみましょう」

とのことで、もう少し様子を見ることにしました。

さて、2日後、1つが受精したものの分割が止まってしまい 胚移植まで至らなかったそうです(>_<)。

で、先生から今後の提案は以下のとおり。

移植に向けてポリープを子宮鏡で診て、 必要であれば切除等の処置をしたほうがよいでしょうが、どうですか?とのこと

基本全てを先生におまかせするつもりなので、 そのご意見に従い、このクリニックには子宮鏡設備はなかったため、紹介状を書いて、総合病院で診ていただくことにしました。

採精について

ことば通りです、まんまソレですが、夫の方々としては「どこでするの?」「人いたりしないの?」と気になるかもしれませんので、主人から聞いたお話をちょっとだけ。

基本、こういうクリニックには「採精室」や「メンズルーム」というお部屋がありまして、そこには当然人はいない、静謐の場所です。もちろん個室です。

DVDが置かれており、そこで目的を果たします。

人気クリニックでお部屋が満室ということがあります。

待合室で順番待ちをすることもあるのですが、デリケートなものなのであまり待たせるわけにもいきません。

そんな場合クリニックによっては、別室でマンションの1室を借りているというところも稀にあるようです。

さてさて私は、筋腫の切除に向けて心身ともに整えなければなりません。

子宮鏡検査→ポリープ切除手術

ということで、先生に紹介状を書いていただき、このあたりでは産科で有名な総合病院へ。

少し古い設備の病院ではありましたが、結果、とても良い先生方や看護師さんのもと手術・療養をして退院することができました。

書くとだらだらとなってしまうタイプなので(^-^;、簡潔に記しときます。

紹介状を持って外来へ

内診
総合病院の婦人科ははじめてなので、まるで歯医者のようにあのイスが並んでいることに驚愕( ゚Д゚)、とりあえずカーテンでの仕切りはありますが。

診察後、以下から選択しましょうとのこと。

1、このままにしておく
2、外来で見えるところだけを取る
3、外来でまず見えるところだけを取り、子宮鏡を入れて検査

何事もスピーディーにしたい私は迷わず3番を選択。じゃあ、子作りも早くすればよかったのにね、というのはつっこんじゃやだよ…orz

で、その日に外来で見えるところだけ取ったのは良いのですが、やはり痛い~。

先生が取れたものを見せてくださったのですが(見せてくださったのを取り上げるようにしてまじまじと見てしまいました(笑))、普通の頚管ポリープより明らかに大きく、大きい梅干しの種をとったやつみたいって思っちゃいました。

5日後に子宮鏡検査の予約をいれてその日は終了。

で、子宮鏡検査。
私は流産処置をしたことがあるからなのかどうかはわからないけど、ラミナリアは無しで検査(その後にすることになる手術の際もこれは無かったです)。

まさかガバガバなのかと思ったけど、そこも自分のなかでスルー。特に痛くはありませんでした。

子宮鏡検査について詳しくはこちらで ⇒「子宮鏡検査」知ってますか?

結果、当初は頚管ポリープという診たてだったけど、内膜ポリープといってもよいくらい内部から生えているので子宮鏡下で内膜除去手術をしたほうがよいでしょうとのこと。

1日もはやくすっきりしたいタイプなので、その場で10日後の手術を即決。今思えば上司が異動してきてすぐだったのに、申し訳ないことしちゃったなとは思います、ごめんなさい。

手術は全身麻酔のうえ、子宮鏡を入れての手術でした。
開腹ではないので、痛みも出血もほとんどなく4日間で退院をすることができました。
費用は個室だったのですが、計13万円 1日ごとと手術代の保険が降りるので、そこまで懐が痛むことはなかったです(出費としては決して安くはないのですが、内容としては安く感じられるほど快適な病院でした)。

ささ、はやく次のステージへと進みたい私でありました。

一向に進まない治療

筋腫をとって、すっきりしてとっとと懐妊に進みたいと思っていた私ですが、一向に進まない日々が続きました。

ある日の日記より~

IVF2回目 陰性。

リセットして、その次もう1度リセットしたら診察にきてねと言われたものの、50日経っても来ず。

仕事も繁忙期だったため、55日目に行き、お薬にて強制リセット。

その後高温期に入ったら、3日後にクリニックの予定です。

でも多分体温もがたがたで高温期がわからないだろうから、リセットから3週間後によくわかんない体温のまま行くという形になりそうです。

これまたある日の日記より~

寒いですねえ。

クリニックに行ってきました。

まだまだいました、残存卵胞さん。

なんであんなにでっかいのよー、という感じで居座っていました。

ただ、前回よりぼやけた感じかな?

先生いわく、「残存卵胞は大きいけど、ホルモンの影響はあまりないと思うので、注射に入った時に針で刺して小さくするなりして、ロングでいきましょう。」

とのこと。

ていうか「針でさす」の?

いや、まあ別にいいんだけど。

ということで、またプレマリン&デュファストン(売れないフォーク歌手みたいだ)を服用し、強制的にリセットです。

で、途中から鼻スプレー噴霧です。

売れないフォーク歌手をトータル1カ月も服用することになったのはブルーですが、少し前に進むのだと思って飲みますよ、ええ飲みますとも。

O看護師さんによると、残存卵胞が悪さするのでなかなか高温期にならないとのこと。

こっちから聞かなくとも、高温期にならない旨の説明があり感激。

私の勝手な予定では、職場の特別休暇の間が移植後で、「のんびりした気分で過ごせるのね」と思っていたのですが、ずれこんでしまい特別休暇に注射しまくり状態になります。

薬の服用より、この注射時期がかーなーりブルーです。

でもなるようにしかならないので、流れに身をまかせたいと思います。

帰りに駅前のホテル日航のツリーを見て、ゴールド系のオーナメントにするのもいいなあと思いましたが、今年はすでにパステル系でオーナメントセットを購入していたのでありました、残念。

飾りつけもしたいと思うけど、なんだかだるいので週末かな。

これまたある日の日記より~

なんかね、すっごく凹んでます。

待ちにまってようやく採卵周期かと思ったら…。

ちょうど1年前から今のクリニックに移って、採卵ができたのってたったの3回。

ちょっとショックすぎて書けないのでまた落ち着いたら書こうと思います。

めっちゃ落ち込んでますよね、私。

いったい何があったのでしょうか?

そんなこんなで進まなかった治療、結論からいうと転院することになったのですが、そのきっかけは治療がやっと進むかなと思った矢先のこんなことでした。

転院のきっかけ

転院する直前の周期 こんな感じの流れでした

12月 採卵→凍結

1月 ピルによりリセット

2月 リセットしないのでまたピルによりリセット

2月 リセットしたので治療周期に入りましょう、と注射と血液検査。

その翌日、血液検査の結果で残卵胞がありそうとのことで、治療周期には入れずリセットしたら来院とのこと。

3月 リセットしないのでピルによりリセット

3月 リセットしたけど残卵胞が見えたので、またもやピルでリセット

このように昨年末から今まで、ずーっと卵胞が残ってたかもしくはその影響でエストロゲンが高く、治療周期に入れませんでした。

そしてピルも飲み続け。

もういつが高温期なのか低温期なのかわけがわからない状態でした。

その間にも母のガンの再発や、父の認知症の話もありました。

仕事のストレス めちゃくちゃ忙しすぎて、ストレスで胃も悪くなり、胃カメラもいただきました、ごくり。

そして私の前の席のアルバイトちゃんが産休に入りました。

ずっと私の前の席で、お腹が大きくなるのを見てきました。

妊娠初期はとても眠そうで、ケアレスミスが多かったけど、それも仕方が無いし、本当にいい子なのでフォローしてきました。こういう子だからこそ幸せになれるんだろうな、と思ったり。

その一方で、45歳でIVFにより出産した人のブログを見ました。

その中でクリニックへクレームをつける記事があったのですが、そのくだりで「がまんしないで色々言える人だなあ」という感想を持ったけど、外づらだけは良くストレスをため込む私などより、ストレートにものを言え、子どもまで手にして、何よりその人は「必ず妊娠できる」って思ってたよなあ、なんて思ったり。

高校の同級生で紆余曲折を経て、再婚をした子が、昨年出産したということをフェイスブックで知ったり

それでもまたピルを飲んでようやくリセットし、やっと私も治療周期に入れると思っていました。

前回のお話では次はアンタゴニストということでした。

ということは、今日から10日前後で採卵ができるかも!

アンタゴニストは…詳しくはこちらでご覧くださいね。

そんなもやもやしたり、落ち込んでいることは治療周期に入れることで解決できると思っていました。

えっ!治療周期に入れないの?

そんな通院日の先生のおことば。

「卵胞が残っているかどうか…、残っていないとしてもスケジュールがね~」

もうそれだけでわかりました、連休にひっかかるから採卵はできないということです。

うーーーーーーーーん、ピルを処方された段階でリセットの時期は大体わかるから、そこで自分からピルを飲む時期をのばすべく提案すべきだったのでしょうか。

何もおっしゃらないから連休も採卵するのだと思っていた私が甘かったのでしょうね。

そりゃそうですよね。

私たちのために日々がんばってくださっている先生やスタッフの方は機械ではない。

機械だって壊れちゃうのに、人間だったら尚のこと。

当然連休は休むってどうして思わなかったのだろう、そして少しでも思ったのだったらなんで確認しなかったのだろう。

でも前述の45歳の人だったらここでクレームつけちゃうんだろうな。

「わかってたらどうして前回のピルの処方の時に、言ってくれないんですか」と。

私だって本当はそう言いたかったのに、自分の中で理由づけをして納得させている自分がいることもいやでした。

先生からはまたピルを飲んで、スプレーをしながらのロングを提案されました。

またもや1ヶ月先に採卵の機会が延びたわけです。

今まで空胞ということはなかったけど、この状態だといつそうなるかもわからない。

受精だってするかもわからない。

そこから先は本当に先生や看護師さんに申し訳なかったですが、ほとんどお話も聞けず、目も見ることができず、「ありがとうございました」もろくに言うことができず。

看護師さんがピルを取りに行っている間は涙が止まらず、それでも戻ってきたら泣くのを我慢したり。

こんな時にすら人目を気にしたりして、本当に自分が人のことばかり気にするくだらない人間だと思い知らされました。

先生も気にされたのか看護師さんから「前回アンタゴニストということでお話ししていましたが、方法がロングに変わったのはスケジュールの都合で…」と治療方法が変わったことについてご説明。

いや、私ががっくり来ているのは、「あなたたちにとってそのスケジュールははじめからわかってることだったのですよね?」ということで…、「いや、でもそれを確認しなかった自分が悪いんでしょ」…と心の中で堂々めぐり。

その晩は、流産せずに出産できてたら同い年になる子が遊びにきて家で宴会。

もうつらくてつらくてどうにかなりそうでした。

こんなに薬を使って卵巣が疲れて採卵ができないのは、自分の年齢としては意味がないので、自然に近い状態であまり誘発をしないクリニックに変わるか、もう高度治療はやめようと思っているのですが…。

なんかもういいや。

なんか心の糸が切れた感じ。

もう子どもがいない生活を考えないといけないんだろうな。

これも自分のせい、仕方がない。

私はいい恰好したがりで、
いつも思ってることを言えず、「仕方がない」と言ってきた。

ばかみたい、こんなことでがまんすることないのにね。

ホントばかみたい。

転院を決意

その後はゴールデンウイークでしたので、しばらくいろいろと考える時間がありました。

あの周期に治療を継続する気力がなく、今周期はお休みをする連絡をしました。

ま、いまさら休んだって「1日も早く」って状況ではないですし。

で、お休みに入る連絡の際に、脚の痛みについて愁訴してはみましたが特にそれについては何もなし。

次の通院の時にお話しされる予定だったのだとは思います。

今の自分の状況…どうせタイムリミットが近い(ていうか過ぎてる?)のなら後悔の無いようにするべきか。

後悔の無いようにしたとこで、それでもだめならどうするのか。

1ヶ月よく考えました。

そして転院することにしました。

今のクリニックはとても居心地がよく、先生もスタッフの方々も日々治療に取り組まれています。

心情的にはもう少しここでがんばりたいのですが、客観的に自分の今のカラダを考えた場合、自分の力でリセットもできない状態は心身ともにつらいなと思ったのが大きな理由です。

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